今回は、サッカー日本女子代表なでしこジャパンの熊谷紗希選手についてのワダイです!
日本から世界へ飛び出し、そのキャリアを着実に築き上げ、なでしこジャパンのキャプテンとしてチームを引っ張ってきた熊谷紗希選手。
豊富な経験を持つ熊谷紗希選手が4度目の女子ワールドカップに挑戦します。
そんな熊谷紗希選手のプロフィールや経歴、出身大学について解説していきたいと思います!
- 熊谷紗希選手プロフィール
- 熊谷紗希選手プロのキャリア、なでしこジャパンでの経歴
- 熊谷紗希選手の出身大学
- 熊谷紗希選手の海外クラブでの成績
熊谷紗希選手プロフィール
●熊谷紗希 選手プロフィール
名前:熊谷紗希(くまがい さき)
愛称:さき
生年月日:1990年10月17日(32歳)
身長:172㎝
体重:60㎏
出身地:北海道札幌市
所属チーム:アッソチアツィオーネ・スポルティーバ・ローマ
ポジション:DF / MF
利き足:右足
1990年、寒冷な北海道札幌市で生まれた熊谷紗希さんは、兄の影響を受けて小学校の頃からサッカーを始めました。
小学3年生になると、彼女は地元のスポーツクラブで本格的にサッカーを始めますが、そこでは彼女は唯一の女性だったといことです。
熊谷紗希さんが通った中学と高校 札幌市立真駒内南小学校を卒業した後、彼女は札幌市立真駒内中学校に進学しました。
中学を卒業した後、彼女は宮城県仙台市の常盤木学園高校に入学し、女子サッカーチームでレギュラーとなり、3年時には主将として全日本女子ユースの3連覇を含む数々のタイトルを獲得しました。
熊谷紗希さんは、サッカーだけでなく、学業でも優れた才能を発揮し、成績トップクラスの生徒として同校に進学しました。
しかし、恩師の安部由晴監督の「サッカーをやっていなければ東大に行っていた」という評価に対して、彼女自身は「東大は言い過ぎ」とコメントして否定しています。
熊谷紗希選手プロのキャリア
熊谷紗希さんは2009年に浦和レッドダイヤモンズ・レディースに加入し、加入初年度はボランチとして全試合に出場、クラブのリーグ優勝に一役買いました。また同年、筑波大学に進学しました。
2011年7月、ドイツの1.FFCフランクフルトに移籍しました。
フランクフルトでのプレイに対して、「技術的、精神的、体力的な課題がある。ドイツでレベルアップしたい」とコメントしました。同年10月、初ゴールを決めました。
2015-16シーズンでは、UEFA女子チャンピオンズリーグ決勝でVfLヴォルフスブルクを下し、リヨンの3度目の優勝に大いに貢献しました。
また、同シーズンにはリヨンが国内リーグ、国内カップ、女子CLの3冠を達成しました。
2021年5月、ドイツ女子サッカーブンデスリーガのFCバイエルン・ミュンヘンと契約し、8年ぶりにドイツに戻りました。しかし、2023年5月には契約を更新せずに退団しました。
2023年6月、イタリア・セリエAのASローマに移籍し、2025年6月までの契約を結びました。
熊谷紗希選手のなでしこジャパンでの経歴は?
2008年3月、高校2年生の時に初めて日本女子代表に選出されました。
その後、U-20女子ワールドカップとなでしこジャパンの中心選手として活躍し、東アジア選手権、アジア競技大会の全試合に出場し、優勝に貢献しました。
2011年の女子ワールドカップドイツ大会では、アメリカとの決勝で4人目のキッカーを務め、優勝を決めるPKを成功させました。
同年には、彩の国功労賞を受賞し、なでしこジャパンが団体として国民栄誉賞を受賞しました。
彼女はまた、ロンドンオリンピックでは全試合に出場し、銀メダル獲得に貢献しました。
しかし、2016年のリオデジャネイロオリンピックの予選では、チームが予選3位となり五輪出場権を逃しました。
その後、2017年になでしこジャパンの新主将に任命されました。
熊谷紗希選手は筑波大学出身!
熊谷紗希さんの母校は、筑波大学の体育専門学群です。ここは体育、スポーツ、健康に関する包括的な学びを提供し、多くのスポーツ選手を育ててきた場所です。
高校時代から学問とサッカーの両立を果たしてきた熊谷さんは、筑波大学での学生生活を自身のキャリアに深く結びつけました。
筑波大学卒の安藤梢さんからの助言を得て、彼女は体育専門学群のある筑波大学に進学を決定しました。
入学と同時に浦和レッズレディースに所属した彼女は、しかし2011年にドイツのサッカーチームへの加入を機に大学を休学。
その後、海外でのサッカーに専念し、5年の休学を経て、2016年に筑波大学を退学しました。
4年制大学の在籍可能期間は最長8年で、その間に卒業が困難となったため、彼女は退学を選択しました。
おそらく、熊谷さんは学位取得とサッカーキャリアのどちらを優先すべきかについて、かなりの時間を考えたことでしょう。
熊谷紗希さん筑波大学3年生の時に海外リーグへの移籍を決意
彼女が筑波大学3年生の時に海外リーグへの移籍を決めたということです。
高校生の時から日本代表として海外へ行く機会が増え、大学に入学する前から「卒業後に海外リーグでプレーしたい」と思ってたようです。
しかし、大学2年生の時に声をかけられて海外移籍の可能性が現実のものとなり、驚きつつも、練習に参加することでドイツのフランクフルトからオファーを受けました。
実際の移籍は半年後でした。理由としては、1月に移籍して3学期分の学業を無駄にすることを避けたいという考えと、6月にドイツで開催されるワールドカップを控えていたことから、ワールドカップ終了後に移籍を決めたということです。
熊谷紗希選手はなでしこジャパンの中心選手!
2009年に浦和レッズレディースの一員となった熊谷紗希選手は、初年度から全試合に出場し、主にボランチとして活躍しました。
彼女の貢献はチームのリーグ優勝に大いに役立ちました。
2011年の女子ワールドカップでは、センターバックとして全試合フル出場。大試合のアメリカ戦では、PK戦で優勝を決めるゴールをきめました。
その大会が終わった後、彼女はドイツのフランクフルトへ飛び、キャリアの新たなステージに進みました。
熊谷紗希選手はこれを自身のキャリアの大きなターニングポイントと語っています。
海外への転出によって自分の世界を広げることを決断しました。そこで彼女は自己成長を遂げ、2012年のロンドンオリンピックでの銀メダル獲得に大きく貢献。
さらに2013年にはリヨンへと移籍し、2015年にはUEFA女子チャンピオンズリーグでクラブの優勝に貢献。その年、彼女は国内リーグ、国内カップ、女子CLのトリプルクラウンを達成しました。
そしてその後、彼女は2度の女子W杯を経験しました。今回の女子W杯で4回目の出場となります。
2011年の女子W杯優勝以来、12年間ヨーロッパでプレーしてきた彼女は、世界の成長を目の当たりにしてきました。
「ワールドカップは、これまで積み重ねてきたものを試せる場所、日本が世界と競えることを示すチャンスです」と彼女は語り、特別な思いを込めて今大会に挑んでいます。
熊谷紗希選手はなでしこジャパンのキャプテンとして、チームのスタイルや立場を守りつつ、一人ひとりのボール奪取力や1対1の能力を引き出すことを求めます。
熊谷紗希選手自身も前回大会からヨーロッパとの戦い方を見直し、大会に向けて強い意志を持ってチームを引っ張っていっています!
熊谷紗希選手の海外クラブでの成績
以下に熊谷紗希選手の海外クラブでの成績をまとめてみました。
- FFCフランクフルト:2011年〜2013年、出場44試合、2得点
- オリンピック・リヨン:2013年〜2021年、出場152試合、29得点
- FCバイエルン・ミュンヘン:2021年〜2023年、出場39試合、8得点
2015年〜2016年シーズンのリヨンでは、彼女はチームの優勝に大いに貢献し、最優秀選手にも選ばれました。
これほどの華々しい経歴は、なでしこジャパンにとっても間違いなくプラスに働くでしょう!
まとめ
今回は、サッカー日本女子代表なでしこジャパンの熊谷紗希選手について、プロフィールや経歴、出身大学について解説しました!
豊富な経験を持つ熊谷紗希選手が4度目の女子ワールドカップに挑戦します。
日本から世界へ飛び出し、そのキャリアを着実に築き上げ、なでしこジャパンのキャプテンとしてチームを引っ張ってきた彼女の経験は間違いなくチームにプラスをもたらすことでしょうね!
今大会もその経験と力を発揮し、チームをさらなる高みへと導くことでしょう!
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