今回は、湘南ベルマーレからドイツのホルシュタイン・キールへ移籍した町野修斗選手のワダイです!
町野修斗選手の素晴らしいサッカースキルは、父親からの指導によるもの!
ということで、お父さんや実家の稼業のことなどを紹介していきたいと思います!
- 町野修斗選手プロフィール
- 町野修斗選手の父親もサッカー実力者だった!
- 町野修斗の実家は畳店!
町野修斗選手プロフィール
名前:町野 修斗(まちの しゅうと)
愛称:マチ
生年月日:1999年9月30日(23歳)
出身地:三重県伊賀市
身長:185cm
体重:77kg
在籍チーム:ホルシュタイン・キール
ポジション:FW
背番号:13
利き足:右足
町野修斗さんがサッカーを始めたのはなんとは3歳!お兄さんのサッカーを始めた影響とのこと。
中学時代には、伊賀市のFCアヴェニーダソルでプレーし、高校は大阪の強豪校、履正社に進学。
1年生からすぐにレギュラーの座を掴み、2年生の時には全日本高校選抜に名を連ねました。
そのプレーが横浜F・マリノスに注目され、3年生の時に練習に参加。その後、横浜F・マリノスへ正式に加入しました。
2019年にギラヴァンツ北九州へ期限付きで移籍し、開幕戦でJリーグデビュー。
その後も順調に試合に出場し、J3リーグ再開後の21節以降はレギュラーとして活躍。特に28節以降の6試合で4ゴールを挙げ、チームの優勝争いに大いに貢献し、チーム得点王に輝きました。
2020年、ギラヴァンツ北九州へ完全移籍が決まり、新型コロナウイルス感染拡大によるリーグ中断を経て、29試合連続出場。しかし、後半戦では得点を挙げることができず、途中出場に留まりました。
2020年末に湘南ベルマーレへの完全移籍を発表。
2022年には2試合連続2ゴールを挙げ、呂比須ワグナー以来クラブ史上2人目の記録を達成。また、同年のJ1リーグで2位に輝き、日本人選手としては最高の成績を収めました。
2022年7月には日本代表に初選出され、EAFF E-1サッカー選手権2022で2ゴールを決めるなど活躍。特に、9年ぶりの優勝に大いに貢献し、大会得点王に輝きました。
同年のカタールW杯では最初は選ばれていませんでしたが、怪我人が出たことで追加招集されました。しかし、結局出場機会は訪れず、大会は終了しました。
2023年、ガンバ大阪戦で前半だけで4ゴールを挙げ、Jリーグ史上初の記録を達成しました。
そして2023年夏、ドイツのホルシュタイン・キールへの移籍が発表されました。
町野修斗選手3歳で父からサッカーを学ぶ!
町野修斗選手のサッカーへの道は、3歳のときに始まりました。そしてその最初の指導者は、父親の町野理さんだったのです。
町野理さんが率いるチームでは、兄が既にサッカーをプレーしており、その影響から一緒に学ぶことになりました。これについて修斗選手はインタビューで明かしています。
湘南ベルマーレ公式チャンネル「MY WAY」第13回では、修斗選手が家族について語っています。
毎日連絡を取り合うほど親密な関係のおばあちゃんが「総監督」だそうで、おばあちゃんが、自分を応援してくれることが生きがいだ、と言ってくれるので頑張れると話しています。
家族の絆が町野修斗選手の活力源になっていることが伝わってくる良いエピソードですね!
町野修斗選手の父親もサッカー実力者だった!
修斗選手の父親、理さんは上野工業高校(現・伊賀白鳳高)出身で、高校時代には国体に出場するほどの実力者だったとのこと。
理さんが指導を行うチームでプレーする修斗選手は、小さい頃から非常に上手で、どの位置からでもゴールを決めることができたそうです。その様子を見て、この子がプロになると感じたとインタビューで述べています。
修斗さんの名前「修斗」は、サッカーの「シュート」にちなんで名付けられたもの。
理さんがサッカー経験者であることから、名前には父からの願いが込められていると伝えられています。
父から受け継いだ夢を胸に、プロサッカー選手へと成長した修斗選手の物語は感動的なものですね!
理さんは現在も中瀬小学校のスポーツ少年団の監督を務め、小学生たちにサッカーの楽しさを教えています。
「プライベートでは怒られたことがない」と語る修斗選手が、唯一怒られたのはサッカーのときだけだったというエピソードもあります。
優しさに溢れるお父さんの影響を受けて、修斗選手はすくすくとサッカーの道を歩んでいったのですね!
町野修斗選手の実家は畳店!
町野修斗選手の家族は、伊賀市にある畳店を経営しています。
この街は伊賀忍者で知られており、修斗選手のゴール時のパフォーマンスには、この忍者のポーズがよく取り入れられています。
畳店は町野修斗選手の父親、理さんが運営しています。この店は世代を超えて受け継がれてきた家業で、理さん自身も畳職人として働いています。
父・理さんの顔立ちは、息子である修斗選手に似ていますね。
理さんもサッカー経験者であり、国体に出場したときのポジションは、息子である修斗選手と同じフォワードでした。
修斗選手は3歳から父親の指導の下でサッカーを始めました。現在、理さんは畳店の経営の傍ら、地元の少年サッカーチーム「FC中瀬SS」で子供たちにサッカーの楽しさを教えています。
この畳店は、一人で営んでいるようですが、それだけでなく「特A」評価を受けた伊賀米の生産も行っています。
町野修斗選手の故郷である伊賀市は、「伊賀米」、「伊賀牛」、「伊賀焼」などで知られる地域です。
また、町野修斗選手がゴール時に行う「忍者ポーズ」は、この伊賀市が発祥の地である忍者にちなんでいます。
まとめ
今回は、湘南ベルマーレからドイツのホルシュタイン・キールへ移籍した町野修斗選手について、プロフィールや実家の稼業、父親について紹介しました!
町野修斗選手の素晴らしいサッカースキルは、父親であり地元伊賀市で畳店を経営する理さんから教わったものなんですね。
また、父親が地元の少年サッカーチームの監督を務めていたことも、修斗選手のサッカーへの情熱に大きく影響を与えているようです!
お父さんの影響と、おばあちゃんや地元伊賀市への愛情が満ち溢れていますね。
この地で育てられた彼は、父親の指導を受けてサッカーの才能を開花させ、異国の地でも活躍中!
町野修斗選手の生い立ちを知ると、そのプレイに込められた情熱や才能がより一層引き立ちますね!
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